ピンチヒッター
その日も、林田雅人は憂鬱な気分で練習を終えた。ほかの選手たちはユニフォームから普段着に着替えて宿舎にむかうが、林田だけはここに残らなければならなかった。監督に呼ばれているのである。そういうわけで、林田は今監督専用の個室にむかっているのだが、どうも足取りが重い。
林田は個室のドアをノックした。すると、中から
「入れ」
という低くドスのきいた声が聞こえてきた。声だけ聞けばヤクザだ。
「失礼します」
丁寧にお辞儀をして、林田は部屋に入った。
「俺が何を言いたいか、わかってるな?」
「は、はい」
「お前はこの球団に入って三年になるが、一本もヒットを打っていない。同期の井上は球団最多安打を達成しているのに。それにお前、いつも代打ばかりで、一度もスタメンで試合に出たことがないじゃないか。いいか、ヒットを打てない野球選手なんか必要ないんだ」
林田は何も言わず、ただ唇をキュッとかみしめているだけだった。そして待っていた。「お前なんかクビだ」と怒鳴られ、この部屋からも、この球団から追い出されるのを。いっそのこと野球界から消えてしまいたいと、林田は思っていた。
しかし、次に監督の口から出た言葉は、林田にとって予想外のものだった。
「あと一回だけお前にチャンスをやる。次の試合で、もしお前が一本でもヒットを打ったら来年もお前を雇ってやる。年俸を二倍にしてな。しかし、もしヒットを打てなかったら今シーズン限りで契約をうち切る。いいな?」
林田は状況がよくのみ込めていなかったが、監督の強烈な威圧感を前に、
「は、はい」
とこたえるしかなかったのだった・・・。
その日から、林田はそれまでの三倍近い練習量をこなすようになった。年俸アップのためでもあったが、代打だけのみじめな生活と早くおさらばしたかった。後輩からも馬鹿にされる生活はもううんざりだ。そんな思いで、林田はくる日もくる日も懸命に練習をした。
そして、試合当日。九回裏、ツーアウト満塁という緊迫した場面で、林田の名は呼ばれた。
「代打、林田」
広い球場にアナウンスがこだまする。何度となく経験してきた光景だが、今日は緊張感が違う。
(リラックス、リラックス)
そう自分に言い聞かせながら、林田はバッターボックスに立った。相手投手の目がやけに威圧的に感じる。投げてくるのはフォークか、ストレートか。
ピッチャーが振りかぶった。林田の目はピッチャーの投げたボールをとらえることができなかった。
次の瞬間、林田は頭部に強い衝撃を受け、その場に倒れ込んだ。球のあたりどころが悪く、担架がくるころにはほとんど意識がなかった。
試合のほうは、このデッドボールによって三塁走者が押し出しでホームにかえり、林田のチームが見事に逆転勝ちをおさめた。
薄れゆく意識の中で、スコアボードの数字が「1」に変わっていくのを、林田はかすかに微笑みながら眺めていた・・・。
完
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