たあくんの大冒険

著:星新二

「わあ、おっきい電車!」
 小さい両目を精一杯見開いて、タクミは言った。
「ブーブーよりおっきいね」
 などと言ってすっかりはしゃいでいる。
「たあくんが乗るのはこの次の電車だからね。もう少し待ってようね」
 と言って、母親の久美子はタクミの頭をなでた。はーい、と素直な返事をして、タクミは家から持ってきたミニカーで遊びはじめた。
「家族旅行なんて、本当にひさしぶりね」
 久美子がしみじみと言った。
「そうだな。新婚の時に一度北海道に行ったきりだもんな」
 と信二が言った。
「タクミが生まれる前だものね・・・」
「たらいま、東京駅を出発しまーす」
 タクミが車掌のアナウンスの真似をしている。
「グリーン車がとれてよかったわね」
「ああ。片道二時間もかかる長旅だからな。グリーン車は座席に余裕があるから、タクミも楽だろう。ん?」
 目線を下にうつすと、タクミが信二の上着の裾を引っ張っている。
「どうした?」 
「おしっこ」 
 信二は腕時計を見て、
「電車がくるまでまだ時間があるな。おしっこいきたいのか?」
 タクミはこくんとうなずいた。
「えーと、トイレは・・・あの角の突き当たりか。よし、行こう」
「ママもおしっこ」
「ママはここで待ってるから、パパと行ってらっしゃい」
 久美子は笑いながら言った。
「パパ、抱っこ」
「しょうがないなあ」
 と言いながら、信二はタクミをだきあげて、トイレにむかって歩き出した。

「いっぱい出たなあ。これで安心して電車に乗れるな」
 そう言って、信二はトイレの前でタクミをおろした。
「パパもトイレしてくるからここで待っててね。絶対に動いちゃダメだぞ」
「はーい」
 信二はトイレに入った。一人になったタクミは、退屈しのぎにミニカーで遊ぼうとポケットに手を突っ込んだ。もう少しでミニカーが取れそうという時、タクミの手がすべって、ミニカーは地面に落ちてしまった。ミニカーは見事にタイヤから着地して、運の悪いことに地面がほんの少し下り坂になっていたために、ミニカーはそのまま走り出してしまった。
「ブーブー、まって!」
 タクミは必死でミニカーを追いかけた。運の悪いことに、ミニカーが走り出したのは久美子が待っているホームの逆の方向だった・・・。

「タクミたち、遅いわね。もうすぐ電車きちゃうのに」
 そう言って、久美子は腕時計を見た。
「本当に、ひさしぶりね」 
 久美子はしみじみと呟いた。旅行らしい旅行といえば、新婚の時に信二と二人で北海道に行っただけだ。タクミが生まれてからは子育てに追われて旅行の旅の字も浮かばなかった。タクミはまだまだ手のかかる年頃だが、外に出しても迷惑をかけない歳にはなった。それに、見知らぬ土地に行くのも良い経験だろう。私たち夫婦にとってもいい想い出になるはずだ。
 信二が走ってくるのが見えた。だが、タクミの姿はない。
「久美子!」 
 信二は明らかに冷や汗をかいていた。ただならぬ彼の様子に久美子は戸惑った。
「タ、タクミがいない!」
 どうしたの、と聞くひまもなく、信二は言った。久美子がその言葉をすぐに理解できなかったのは雑音のせいだけではなかった。
「とにかく探しにいこう!」
 信二に腕を取られ、久美子は何が何だかわからないまま、とりあえず走り出したのだった。

「ママ、パパ、どこ?」
 か細い声で何度もそう言いながら、タクミはまわりを見まわしていた。細い通路で、前に進めば進むほど不安になってくる。旅行前の高揚した気分が冷めてしまったせいか、風がやけに冷たく感じる。
「ハクション!」
 風の冷たさに、タクミは思わずくしゃみをした。その拍子に前のめりに思いきり転んでしまった。転ぶ前に手をついたので顔は打たずにすんだが、かわりに膝を地面に思いきりぶつけてしまった。転んだ時に手をついたので、ミニカーはどこかに飛んでしまったが、膝の痛みで探しに行くことはできなかった。
「痛いよ、ママ」
 こんな時ママがそばにいたら、すりむいた膝頭をやさしくなでながら「痛いの、痛いの、飛んでいけ!」となぐさめてくれるのに。でも、今はパパもママもいない。どうすればいいかわからなくなって、タクミは泣いてしまった。泣き声が薄暗い通路に不気味なほど大きく響く。
「どうした、こんなところで泣いたりして」 
 突然、太くて大きい声が聞こえた。びっくりして上を見上げると、体がくまみたいに大きいひげもじゃのおじさんが立っていた。
「これは君のかい?」
 ひげもじゃのおじさんは厚いジャンパーのポケットからミニカーを取り出し、タクミによく見えるようにしゃがんで目線を合わせた。
 ミニカーが自分のものだと、タクミはすぐにわかった。今よりももっと小さい時にミニカーをかんでつけた歯形がたくさんついていたからだ。タクミはこっくりとうなずいた。
「そうか。歩いてたら突然これが飛んできてびっくりしたよ。君のものだったのか」 
 そう言って、ひげもじゃのおじさんはワッハッハと笑った。嫌味のない、おおらかな笑い方だった。
 タクミはひげもじゃのおじさんからミニカーを受け取った。いつの間にか、タクミは泣きやんでいた。
「ママやパパはどうしたんだい?きっと、君のこと必死で探してるよ」
 ママやパパのことを考えると悲しくなってきて、タクミはまた泣いてしまった。
「ぼくが悪いの。パパの言うことを守らずにブーブーを追いかけたりするから」
 泣きじゃくるタクミに、ひげもじゃのおじさんはやさしく言った。「ママとはぐれてさみしい気持ちはよくわかる。でも、泣いてたってどうにもならないだろ?ママがどこにいるか、見当はつくかい?」
「今日、ほんとはママとパパと僕で電車に乗りにきたの。電車に乗ってどこかすごい遠くに行くってママが言ってた」
「だったら、ママは東京駅にいるかもしれないな。おじさんが駅まで案内してあげるよ」
 そう言って、ひげもじゃのおじさんは手を差し出した。タクミはこのおじさんについて行っていいものかどうか一瞬迷ったが、すぐにおじさんの差しだした手を力強く握った。
「じゃあ、ママを探しに行こうか。絶対にその手をはなすんじゃないぞ。すぐに人混みにまぎれて、また迷子になっちまうからな」
「うん!」
 タクミは力強くうなずいた。
「暗いから足元に気をつけろよ」
「うん」
 こうして、生ゴミのいやな臭いが漂う薄暗い通路の中を、二人はゆっくりと歩き出したのだった。

「タクミは見つかったか?」
 と、信二は久美子に聞いた。だが、久美子は疲れきった表情で首を横に振るばかり。それを見た信二は落胆のため息をついた。
 もう、何度このやりとりが続いているだろう。一時間以上もこうして二人で手分けをして駅の構内を探しているのだが、タクミが見つかる気配はまったくない。二人の疲労はすでに限界を超えていた。
「こうやって二人で手分けして探してもタクミは見つからないわ。それに、この人混みよ。私たちが迷子になってもおかしくないわ」
 久美子の言う通りだった。祝日と言うこともあり、東京駅は下手なテーマパークよりも混雑している。こんな状況では、幼い子どもはもちろん大人でさえ方向を見失いかねない。いくら自分の子どもでも、この人混みの中から迷子を見つけるのは無理だと言えた。
 なにかをひらめいたように、不意に久美子が言った。
「ねえ、迷子相談センターに行きましょうよ。そこの係員さんに頼んで、タクミを呼び出してもらうの」 
 タクミを見つけるにはその方法しかないように、信二にも思えてきた。
「ぐずぐずしてるひまはない。とにかく、二人で迷子相談センターに行こう!」
 そう言って、信二は足早に歩き出した。しかし、しばらく行ったところで信二の足はとまった。そして、信二はこうつぶやいた。
「迷子相談センターは、どこだ?」

 薄暗い通路は、まだ続いていた。タクミはもうとっくに足が棒になっていたが、決して疲れたとは言わなかった。疲れたと言えば、ひげもじゃのおじさんがやさしく抱き上げてくれるかもしれない。それはありがたいことなのだが、おじさんの体から漂ってくるお酒の臭いがどうしても好きになれなかった。
 お酒の臭いをのぞけば、おじさんはとてもいい人だった。何歩か歩くごとに「寒くないか?」と聞いてくれるし(お酒の臭いが気になって、おじさんの厚いジャンパーを借りる気にはどうしてもなれなかった)、いろいろ質問もしてくれた。また、逆にタクミからおじさんに質問をすることもあった。
「おじさんのおうちはどこなの?」
「おじさんのおうちは、この地面全部なのさ」
「地面全部?」
「そうだよ。だから、行こうと思えばどこでも行ける」
 タクミにはおじさんの言っている意味がよくわからなかったが、どこへでも行けるなんてうらやましいな、と思った。
「何の仕事をしてるの?」 
「感謝する仕事かな」
「感謝する仕事?」
「自分が口にする食べ物に感謝をして、その日を生きられたことに感謝をする。これだって立派な仕事だよ」
 思いがけない答えが返ってきたので、タクミはびっくりした。
「僕も食べ物に感謝してるよ」
「それは感心だ。その気持ちを忘れるんじゃないぞ」
「でも、嫌いな野菜とかは残しちゃうかも」
「それはだめだなあ。嫌いな食べ物でも残さず食べにゃあ。でも、それが豊かになったってことなのかもしれんな」
 おじさんのおおらかな笑い声が響いた。それにつられてタクミも大声で笑った。    
「雨の匂いって知ってるか?」
 急に真面目な口調になって、おじさんは言った。
「雨の匂い?」
「一日中外にいると、匂いに敏感になるんだ。雨が降ったあとの匂いもいいが、降る前の匂いもいい。蛙たちは一斉に声を張り上げて雨のおとずれを喜び、いつもは動きののろいナメクジだって、この時ばかりは体を一生懸命体を動かして精一杯雨を楽しむ。その光景を見るのが、たまらなく好きなんだ」
 そう言っている時のおじさんの目は、まるで子どものようだった。
「一日中外にいて寒くないの?」
「俺には君が帰るような暖かい家はない。でもな、心の中に大きな家があれば、それで十分なんだよ」
「心の中の家?」
「つらくなった時は心の中の家で少し休めばいい。それに、心の中の家があれば人に優しくなれるし、自分にも優しくなれるんだ」
「ぼくの心にもあるかなあ」
「それはおじさんにはわからない。坊主が自分の心とちゃんと向き合っていればきっとあるはずさ」
「どういう意味?」
「自分の心とちゃんと向き合える人は、心の中に大きな家を持っているんだ」
「どうすれば自分の心とちゃんと向き合えるの?」
「大事なのは、自分に嘘をつかないことだ。本当は遊びたいのに、自分は遊びよりも勉強が好きなんだとむりやり思い込んで、自分をごまかしたりしてないか?」
「うん・・・。たまにはあるかも」
「それが自分に嘘をつくってことなんだ。そういうことをくり返していくうちに、だんだん自分が信じられなくなっちゃうんだ」
「おじさんは、自分に嘘をついたことある?」
「たくさんあったさ、昔はね。でも、ここにきて変わった。誰にも嘘をつかなくてよくなったんだ」
「嘘をつくって疲れる?」
「そりゃあ疲れるさ。嘘はつかれるほうも傷つくが、つくほうも傷つくんだよ」
「ぼく、もう嘘つかない!」
「坊主はいい子だ。嘘は人を傷つけるってことを忘れるんじゃないぞ」
「はーい!」
 タクミが元気よくそう言うと、おじさんは目を細めてタクミの頭をなでた。
 おじさんはいろいろなことを教えてくれた。人を守るための嘘はついてもいい時があること、頑張るだけじゃなく、時には立ち止まってゆっくり考えるのも大切なことなど、どれもママやパパは教えてくれないことばかりだった。
 タクミはおじさんがますます好きになった(お酒の臭いだけはどうしても好きになれなかったけれど)。
 出口が見えてきた。あと一歩で通路を抜けるというところで、おじさんはあしをとめ、タクミの手を力強く握った。 
「絶対に手をはなすんじゃないぞ。迷子になっちまうといけないからな」
 そう言うと、おじさんはタクミの手をひいて足早に歩き出した。
 薄暗い通路を歩いてきたので、タクミの目は明るさになれていなかった。前がよく見えず、タクミは何度も人にぶつかりそうになった。
 おじさんがどこに行こうとしているのか、タクミにはわからなかった。おじさんの手を握るだけで精一杯だった。
 不意に、おじさんは足をとめた。目の前にはドアがあり、中には三人のおまわりさんがいた。三人ともドアに背を向けていて、タクミたちには気づいていない。(迷子相談センター)という文字の書かれた看板が立っていたが、難しい感じが多すぎてタクミには読めなかった。
 三人のおまわりさんのうちの一人がタクミに気づいて、ドアを開けてタクミに近づいてきた。そして、しゃがんでタクミと目線を合わせると、
「どうしたのかな?」 
 とやさしく声をかけた。
「ママとはぐれちゃったのかな?」
「うん」
「ここまでは一人できたの?」
「ううん。このおじさんにつれてきてもらったの」
 そう言って、タクミは横を向いた。だが、さっきまでいたはずのおじさんの姿はなかった。
「あれ?いなくなっちゃった」
「おじさんってだれかな?ママの知り合い?」
「ちがうよ。駅のおじさんだよ」
「駅のおじさん?じゃあ、駅員さんにつれてきてもらったのかな。まあとにかく、中に入ってゆっくりしよう。人混みを歩いて疲れただろう」
 おまわりさんに言われるままに、タクミは迷子相談センターに入った。入る前に後ろを何度も振り返ったが、おじさんの姿はどこにも見えなかった。

「タクミ!」
 そう言って、久美子はタクミを抱き上げた。
「どこをうろうろしてたんだ。心配したんだぞ」
 と信二は言ったが、表情はホッとしていた。
「でも、えらかったよな。ちゃんと自分の名前も言えたし。とにかく、ママとパパが見つかってよかった」
 なんだか、おまわりさんまでホッとした表情になっている。
「本当に、ありがとうございました」
 久美子はおまわりさんに丁寧にお礼を言った。
「じゃあ、帰ろうか」
 と、信二が言った。
「パパ、抱っこ」
「しょうがないなあ」
 と言いながら、信二はタクミを抱き上げた。
「それではお気をつけてお帰りください」
 というおまわりさんの言葉が、いつまでもタクミの耳に残っていた。

 駅を出ると、すでに太陽は西に傾いていて、夕陽がアスファルトをきれいなオレンジ色に染めていた。
「一日中歩きまわって疲れなかった?」
 と久美子に聞かれ、信二に肩車をしてもらいご機嫌のタクミは、
「大丈夫!」
 と元気よくこたえた。
「パパたちのほうが疲れたよな、ママ?」
「そうよ。タクミを探しに一時間以上も歩いたんだから。タクミが見つかってよかったわ。終わりよければすべてよしね」
「まあ、そうだな。ところで、おまわりさんのところには誰につれていってもらったんだ?」
 と信二に聞かれて、タクミはまたも元気よく
「駅のおじさん!」
 とこたえた。
「やさしい駅員さんでよかったわね」
「ぼく、駅のおじさんになる!」
「駅員さんになりたいのか。大変だぞ、駅員さんは」
「タクミは電車が大好きだから、きっとなれるわよ」
「それではおうちにむかいまあす。出発進行!」
 タクミがそう言ったので、信二と久美子は笑った。その明るい笑い声は、いつまでも三人の心の中に響きつづけたのだった。



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