明日へつながる道
「明日へつながる道」
丸尾ヒカル
私はこういう日々の為にきっと生まれてきた。ここまで来た過去は試練だったのだ。こ
れからはもっと前へ前へと進んで行く。明日へつながる道は今日も作られている。
7年間付き合っている彼がいた。でも、彼は仕事が忙しく中々会えなかった。彼とは毎
日の電話でつながりあっていた。
そんな時、社内で気になる男性が現れた。隣の席の人だった。其の人は私よりも11歳
年上の37歳で、私は26歳だった。会話も楽しく仕事の先輩として慕っていた。そして
とても仲が良かった。好きかも…と思い始めていた。
付き合っている彼がいるのに、こんな風に思ってしまうのはやはり会えない寂しさから
かも知れなかった。
隣の席の彼が競馬に詳しいので思い切って「競馬に連れて行って下さい!」と誘ってみ
たら二つ返事でOKだった。実は競馬は口実だった。競馬よりもプライベートで会ってみ
たかった。競馬は600円分だけ買ってくれたけれど、見事に負けた…。
競馬が終わり帰ることに…。せっかく会社以外で2人で会っていると云うのに、このま
ま帰ってしまうのは寂しかった。彼からの誘いはなく駅まで無言で歩いた。そんな時突然
「お肉食べに行きましょう」と云われ大喜びした。そしてビールを飲みながら、焼肉を食
べ楽しい時間を過ごした。
お店から出たら、彼が手をつないできたのでびっくりした。道の途中で少し休んでいた
ら、今度は抱きしめてきた。私は思わずその彼の耳にキスをしてしまった。それに反応し
た彼は唇を重ねてきた。其の日は彼の家に泊まりに行くことに…。其の彼は私に彼がいる
ことは知っていた。
月曜日には何事もなかったかのように出社した。でも私のココロは揺れていた。付き合
っている彼と二股状態は良くないと思っていた。今のココロは隣の席の彼に行ってしまっ
ている。付き合っていた彼が私の家に来たので別れ話をし、そして別れた。洗面台に置い
てあった彼の歯ブラシを捨てた時、信じられない位悲しかった。だけど「友達になろう」
と云って別れたのでまた会おうと思えば会えた。それだけが救いだった。
隣の席の彼と正式に付き合うことにした。彼は家によく来るようになり半同棲生活を送
っていた。彼は18歳で東京に上京してきて、これまで20年近く1人で生きてきたらし
い。なので、テレビがお友達だと云っていた。私は1人暮らしを始めてから、手料理らし
いもの初めて人に作り、彼の帰りを待っていると云うのが、まるで結婚生活が始まったか
の様に錯覚して嬉しかった。
そんな彼は家に来るとすぐにテレビをつけた。一緒にご飯を食べていてもテレビに夢中
で、お互いの話は滅多にしなかった。私はもっと会話がしたかった。
でも、彼が家に来ない日はメールをしても返事がなかったり、電話をしても出なかった
りで不安だった。会っている時は普通なのに、どうして距離のある場所にいると違うのだ
ろう。普通のコミュニケーションが取りたかった。
テレビっ子の彼から「テレビを観るスタンスを変えるつもりはない」とはっきり云われ
てしまった。子供みたいだと思った。頭に来ることもたくさんあったけど彼の事が好きだ
った。恋愛はそういうものだと思って我慢していた。
恋に落ちて付き合うとやはり将来も一緒にいるのかと私は思ってしまう。結婚なんて文
字も浮かんでしまう。彼と一緒にいることが出来るのかの見極めも大切だと思ったけれど
、愛していたから一緒にいた。水と油の様な関係だとは思っていたけれど。
夏が来て、彼は夏休みを利用して田舎に帰省した。数日後、帰ってきた彼に「実家はど
うだった?」と聞いたら「結婚しない主義」だと両親に話してきたと云うではないか。こ
れはショックだった。今まで人との関わり合いを避けて生きてきた人だからそうじゃない
かと思ってはいた。私は「結婚」がしたかった。彼と一緒にいても年を取るだけだから、
寂しいけれど彼と別れることにした。最後にお互いに「ありがとう」と握手をして別れた
。結婚しない主義なんて聞かなければ、きっと今も一緒にいたと思う。
私は転職して違う会社に入った。其の社内で気になる人が出来た。2つ年上で喫煙所で
よく会っていた。私に興味を持ってくれていた。其の人と先輩の4人で飲み会をすること
になった。
飲み会当日、先輩2人の都合が悪くなったので、結局私と其の人と2人きりでの飲み会
になってしまった。だけどすごく盛り上がって話題が尽きることはなかった。其の人がバ
ツイチだということも知った。私たちは付き合うことにした。
付き合って初の週末に「今日は贅沢しよう」と云われてお寿司屋さんに行った。其の時
になんとプロポーズされた!嬉しかった。私はとても「結婚」がしたかったから。彼の実
家にも連れて行ってもらい、家族の方に会わせてくれた。もう結婚モードになっていた。
毎日がすごく楽しかった。何も不安がなかった。楽しいことばかりだった。プロポーズ
もしてくれたし、寿退社が出来ると思っていた。人生の中で1番充実していたのではない
かと思う。
そんな時、あの結婚しない主義の彼からメールが来た。「色々考えたけれどもう一度や
り直そう、結婚も考えている」との事だった。だけど私にはもうプロポーズしてくれてい
る彼がいたので丁重にお断りのメールをした。
彼との楽しい日々は長くは続かなかった。突然彼が変わってしまったのだ。ココロにモ
ヤモヤする気持ちがあると云う。あんなに楽しくお互い愛し合っていたのに。一緒にいて
も彼はツライだけだと云っていた。寂しかった。私は何も変わっていないので、どうした
ら良いのかわからなかった。
こんな状態でも会社では毎日会ってしまう。ツラかった。次の週末に話し合いをするこ
とにした。それまでの辛抱。彼は別れることは考えていないと云ってくれたのが幸い。し
かしツライ。家ではお酒を飲んで憂さ晴らしをして過ごした。どん底に落とされた。
週末が来た。話し合いは、彼の一方的な話で終わってしまった。別れ。彼はバツイチの
経験があるせいで、私をちゃんと幸せにしてあげる自信がなかったらしい。かなりのダメ
ージを受けた。結婚出来ると思っていたから。この人となら一生一緒に生きていけると思
っていたから。結婚出来なかった。
いても立ってもいられなくなった私は、7年間付き合っていた彼に電話してみた。会っ
て軽く飲んだ。普通の友達になっていた。だけど私はまたよりを戻したいと思っていた。
やっぱりしっくりくるのはこの彼。そういう話をしたけど、彼は友達気分が抜けないと云
っていた。でも、以前付き合っていたように、家にもよく来るようになった。理屈ぬきで
お互いを必要としていた。付き合っているのと同じだった。彼に結婚の事をどう思ってい
るのか聞いてみたら「35歳くらいにならないと出来ない」と云われた。今は仕事に忙し
く、結婚なんて考えた事もなかったと云われた。あと9年も待つのかと思うと気が遠かっ
た。
私は仕事に追い詰められていた。鬱っぽいと感じる日もたくさんあった。まさかと思っ
たけれど、自分がどうもおかしいので心療内科に行った。そうしたら「鬱状態」と診断さ
れ、精神安定剤と睡眠薬を処方された。
会社に行けば元彼と会ってしまうし、仕事は過酷だしでパニックになっていた。薬を飲
まなければ眠れなくなっていた。限界だと思った。3月いっぱいで退社した。それからう
つ病になってしまった私は、神奈川の実家に強制送還されることになった。
実家に帰ってきてからはひたすらネットをしていた。同級生が集まれるサイトがありそ
こに登録したら、高校の軽音楽部の1つ年下の後輩の男の子を見つけた。ギターが上手く
て顔もよく覚えていた。冗談半分でメールしてみた。そしたら返事が来て今度会うことに
なった。
会う日が来た。其の子はバイクに乗る子で海まで行った。初めてまともに話したけれど
、とても気が合った。
付き合っている彼とは月に1度会うのが精一杯だった。私は後輩の子とのコミュニケー
ションの方が多くなってきた。其の子もうつ病だったようで、鬱の気持ちをよくわかって
くれていた。かなり仲良しになっていた。
そして、付き合っている彼と別れようと決意した。ココロは後輩の子になっていた。鬱
の気持ちをわかってくれる上に、何より優しい。彼とは喫茶店で話しお互い納得がいく話
し合いで終わった。延べ8年間も付き合っていたのに別れは1時間だった。もう未練はな
い。友達でいようとも云わなかった。
別れてから寂しくて後輩の子に電話したらすぐに来てくれた。別れた話をして私は泣い
て泣いて泣き崩れた。其の子は話をちゃんと聞いてくれた。そして「付き合って」と云わ
れた。OKした。
もう彼となった其の子とは、毎日どちらかの実家でご飯を食べていた。夜中まで遊んで
いた。そんな生活を続けていたら、家の両親が「一緒に家に住めば?」と云ってくれた。
それは願ってもない話だった。実は彼からはもうプロポーズされていた。
同居生活が始まって楽しかったけれど、家に一緒に住む期限があった。なのでマンショ
ンを見付けて、そこに引越しをし「入籍」もした。やっと結婚が出来た!
あんなに憧れていた結婚が出来たと云うのに、旦那がリストラされた。ずっと家に2人
でいた。私はクリニックの先生の勧めで「デイケア」と云う所に通うことにした。そこは
ココロの病の人が集まって作業したり自由にする場所。
鬱は度々顔を出し、リストカットをしていた。死にたいとも思っていた。あの高層マン
ションからの飛び降り、または首吊り、OD(オーバードーズ=薬の大量服用)など。そ
んなことばかり考えていた。
旦那の実家での同居の話が来た。姑からお金がかかるので一緒に住めば?との事だった
。でも私は反対だった。だけど話は進んでいった。
旦那は音楽の仕事がしたくて毎日パソコンで音楽を作っていた。でもレベルが高くて応
募をしてもダメだった。それが旦那を鬱にさせていたのかは定かではないけれど、旦那の
鬱の方が酷くなってしまった。
ある朝、起きて何気なくゴミ箱を見たら血のついたティッシュがいっぱいあった。旦那
を追及して聞いてみたら腕をタオルでグルグル巻きにしてあった。腕を見たら「DEAT
H」と刻まれていた。旦那の方が本当に重症になってしまった。
私はバイト探しをずっとし、面接に行っては受かったり落ちたりだった。受かっても鬱
が顔を出して続けられなかった。
結婚生活は憧れだったけれど、2人してうつ病なので鬱と闘う方が先だった。かなりツ
ラかった。旦那の就職は中々決まらなかった。2人して昼間から寝ていた。あまりにも鬱
がツライので「心中」しようとまで云っていた。だけど旦那は自分の子供を抱いてみたい
と云っていて、心中はしないことにした。
私はほぼ毎日デイケアに朝から参加していた。ある日、2週間に1度だけ来る男性にコ
コロが動いてしまった。同じ年で茨城から来ている人。1人暮らし用のアパートはクリニ
ックの近くにあるとのことだった。今は病状が悪化している為、実家に帰っているとのこ
と。私は突然其の人に「結婚して下さい」と云ったら面食らっていた。当然だ。私が既婚
者なのは知っていたし、まだ会ったばかりだったから。だけど其の人と今度飲みに行く約
束をした。ワクワクした。誰にも内緒だった。
とうとう同居の話が本格化してきた。もう従うしかなかった。旦那の実家に引越した。
ご飯を作らなくていい面は助かった。姑ともまあまあ上手くやっていた。
ついにあの茨城の人との飲み会の日が来た。ずっと飲んで喋っていて楽しすぎた。其の
彼は「Sちゃん」だ。旦那にも姑にも「デイケアの人と3人で飲みに行く」と嘘をついて
いたので、怪しまれなかった。
私はSちゃんへの思いがどんどん止められなくなってきていた。ある日、デイケアのウ
ッドデッキでキスをした。其の日の携帯メールに「キスした時、勃っちゃったよ」と来た
。削除もしないでそのままにしていた。
その後、旦那に浮気がばれた。私が寝ている間に、怪しい影があると疑われていたので
、私の携帯メールをつい見てしまったと云う。あのSちゃんからのメールだ。夜中に怒鳴
られて起こされた。相手は誰だ?と聞かれて素直に答えた。旦那はすぐにSちゃんちに電
話をしていた。Sちゃんは電話に出たようだった。旦那は「神奈川に住めなくしてやる」
とか怖いことばかり怒鳴りながら云っていた。Sちゃんはさぞかし怖かっただろう。
次の日からは旦那と険悪なムードで、私のことを信頼出来ないと云われた。旦那とSち
ゃんは慰謝料20万円を取るとのことで和解したようだった。旦那はSちゃんから貰った
お金を使いネットオークションでプラモデルを信じられないくらい落札していた。毎日プ
ラモデルが届いた。私はそのプラモデルを見て悲しかった。
旦那の就職がついに決まった。家族で喜んだ。でも旦那はすぐに風邪を引いて休み、其
の後は交通事故に遭い入院した。しばらく療養して復帰したけれど、新人研修でうつ病の
同期の人がいたようで、上の人が其の人に「うつ病なんて怠けてるやつがなるんだ」くら
いのことを云っていたと云う。旦那はそれにキレて会社を辞めてきた。そしてまたいつも
の生活に戻った。
鬱が酷い旦那は毎日寝てばかりいて、見ていられなかった。先生から入院を勧められ入
院した。10日間で退院してきた。良くなった感じだった。
旦那の入院中、私は旦那がいない家にいても寂しかったし、最近姑とあまり上手くいっ
てなかった事もあって実家に里帰りしていた。姑は今年いっぱいはデイケアに行くように
、と旦那に云っていたようだ。かなり長い期間だった。私も親から旦那がちゃんと働ける
ようになるまで、実家にいるように云われていた。それなのでパソコンと洋服を持って帰
ってきた。まるで離婚するかのような感じだった。
別居生活が始まってからは、デイケアでしか旦那と会ってはいけないことになっていた
。私は毎日行っていたけれど、旦那はあまり来なかった。実はSちゃんとは続いていて、
「愛していることに気付いてしまった」と告白された。そしてそんなSちゃんからプロポ
ーズもされた。まさに「人生の選択」と云った感じだった。旦那と離婚してSちゃんと結
婚した方が幸せになれるのかなと悩んでいた。
いきなり旦那の両親から「籍を抜いて欲しい」と云われた。もう自分たちだけの問題で
はなくなっていた。旦那に気持ちはあったけれど、別居しているし、前よりも愛が薄くな
ってきていた。そして離婚することにした。たった紙切れ1枚のこと。そして私はバツイ
チになった。
その後正式にSちゃんと付き合うことにした。でも元旦那がそれを知った時に怒った。
なのに「再婚するならまゆちゃんがいい」と私に云ってきた。元旦那にも気持ちがあった
ので、私はそれを信じてSちゃんに話した。そして別れることになってしまった。Sちゃ
んとは3週間だけの付き合いだった。不倫を合わせると半年くらい。元旦那とは結局付き
合わなかった。
私は彼氏がいなくなってしまい、今度こそ1人になってしまった。寂しさのあまりネッ
トで出会い系サイトをずっとやっていた。実際に会う事もあった。
4人目に会う人が本命だった。画像で顔を見てタイプと思って、1週間しかメールはし
なかったけれど高感度抜群だった。そして会った日は葉山のお店に行った。途中、海岸線
を走っている時にいきなり私は「付き合って」と云った。其の人は驚いていたけれど「い
いですよ」と云ってくれた。すごく嬉しかった。お店に着いてからは「手つないでもいい
?」と云って手をつないでいた。鬱にも理解があり、バツイチのことは気にしていないと
のことだった。彼は健常者だし、バリバリの営業マンだった。2つ年上だった。乗ってい
る車は私の大好きな今は流行っていない2ドアクーペのスポーツカーだった。彼とは上手
くいっていた。
冬になって彼は会社を辞めた。勤めていた会社が統廃合するという理由で。辞めてすぐ
の頃は転職活動に熱心だったけれど、中々良い所がないようで段々転職活動はおとなしく
なっていった。そして彼は今で云う「ニート」になっていった。貯金で生活していた。ニ
ートの彼とは会おうと思えば毎日でも会えたけれど土日月と会っていた。あとはチャット
を毎日してつながっていた。別れたSちゃんとも毎日チャットでつながっていて、彼が出
来てからも毎日のように他愛のない会話をしていた。Sちゃんとは親友のようになってい
た。
彼とSちゃんがご対面する事になった。彼のパソコンを修理して欲しかったからだ。S
ちゃんはパソコンヲタクだったので喜んでやってくれた。Sちゃんの家でお酒を飲みなが
ら楽しく3人で過ごした。Sちゃんにも彼女が出来ていた。其の彼女は私も知っている人
だったけれど、とても嫉妬深い人だったので、彼女には内緒で…との事で家に行った。別
の日にまた彼とSちゃんの家に行って、飲んでカラオケ屋に行った。彼とSちゃんが仲良
くなって嬉しかった。
それから私に仕事が見付かった。在宅で出来るパソコンの仕事。その仕事は夜にやって
いた。
ある日仕事をしていたら、Sちゃんがチャットで話しかけてきた。「これから薬を20
0錠飲む」と。「そんなことするのやめなよ!」といつもの冗談だと思っていたので適当
にやり取りしていた。だけどSちゃんは写メで手のひらに山盛りにした薬の画像を送って
きた。其の4倍飲むと云っていた。そして其の日、Sちゃんとの会話は途絶えた。
次の日、Sちゃんのことが気になっていたのでチャットで話しかけた。でも応答がない
。彼にSちゃんが薬を200錠飲んだらしいよ、と話したら、それは普通じゃない、やば
い、ということでSちゃんの合鍵を持っている子に電話して家に行ってもらった。
そうしたら…もう遅かった。Sちゃんは逝ってしまっていた…。現実を受け止められな
かった。彼と葬儀に参列させてもらった。Sちゃんは眠っているような顔をしていた。S
ちゃんの病名は「境界性人格障害」だった。その悪い症状が出てしまってた時期だと思う
。チャットでも寂しいとかよく云っていた。Sちゃんにはお母さんがいない。でも好きな
人もいて欲しいオーディオも買ったばかりだった。私と彼がそのオーディオの音を聴きに
行く日の予定も決まっていた。傍目からは幸せそうに見えていた。そんなSちゃんがなぜ
…。「衝動的になっている」と云っていたのでそのせいかも。
あれからもう半年以上経つけれど、Sちゃんのことは毎日必ず思い出す。大きな存在の
人だった。私は彼に支えられながら生きている。彼ともSちゃんの話をよくする。あたし
は絶対OD(オーバードーズ=薬の大量服用)はしないと誓った。
私のうつ病はかなり良くなってきていて、後は睡眠障害だけだ。それと彼の転職。彼の
仕事が決まったら一緒に暮らす。そして今度こそはずっとずっと一緒にいる。確実に良い
方向へ向かっている。恋愛にも結婚にも失敗して、病気だけれど毎日が楽しい。やっとコ
コロの底から安心出来る人と出会った。Sちゃんの分も生きよう。彼から「生きていてく
れるだけでいいよ」と云われた。自殺をしたいなんて云ってはいけない。私は今を生きて
いる。明日へ向かって…。
この作品への感想は、丸尾ヒカル氏まで、メールでお願いします。

戻る