ケーキがこわい!
ある日の昼下がり、友子はリビングでコーヒーを飲みながらつかの間の休息をとっていた。もうすぐ和也も学校から帰ってくるだろう。そうすればまた嵐のような慌ただしさがもどってくる。その前に、午後の平和なひとときを楽しんでいるのだ。
和也は今年で七歳になるわんぱく坊主。ぜんまい仕掛けのおもちゃのように部屋中をちょこまかと動きまわり、一分たりとも目が離せない。最近は子ども番組に出てくるヒーローに憧れているようで、「ぼくにはこわいものなんかないんだ」などと言ってはしゃいでいる。本当は野菜が苦手なのだが。
とんとん、とドアをたたく音がして、友子はソファから立ち上がった。玄関を開けると、ランドセルを背負った和也が立っていた。そういえば、今日は学校が早く終わる日だった。「もう帰ってきたの」という言葉を飲み込むのに、友子は苦労した。
「おかえり。今日も楽しかった?」
と聞いても、和也は何も言わず、ただニコニコしているだけ。
「ママ!」
「何よ、急に」
「一つ見つけたよ、こわいもの」
どうやら新しいいたずらを思いついたらしい。和也はうれしそうに満面の笑みを浮かべている。
「それはあとで聞くから、とりあえず中に入って、ランドセルおろしなさい」
「はーい」
めずらしく素直に返事をして、和也はランドセルを友子にあずけた。
数分後、リビングのソファには友子と和也の二人が座っていた。和也は着替えをすませてオレンジジュースを飲んでいる。
「それで、なんなの?和也のこわいものって」
よくぞ聞いてくれたとばかりに、精一杯の笑顔を浮かべて、和也は言った。
「うーんとね・・・ケーキ!」
「えっ?」
「和也ね、ケーキがこわいの!」
和也は無邪気に笑っている。その笑顔を見て、友子は和也の魂胆がわかったような気がした。
「それでね、ママにお願いがあるの」
「お願いって?」
「ケーキがこわいのを治してほしいんだ」
やっぱりそうきたか。心の中であきれながらも、友子は息子のかわいいいたずらにもう少し付き合うことにした。
「そんなにこわいなら食べなきゃいいじゃない」
「こわいものがない子はえらいって、マユミ先生も言ってたもん!」
まったく。口だけは達者なんだから!
次の日の夕方、友子は重い荷物を抱えて玄関の前に立っていた。どっさり買い込んだ夕飯の材料も重いが、一番重いのは右手にもっているケーキの箱だ。店員がドライアイスを余計に入れたせいだろう。
「ママ、おかえり!ケーキ買ってきた?」
玄関を開けると、和也の明るい笑顔が飛び込んできた。よほど楽しみにしていたらしい。
「買ってきたわよ。和也がこわがってたチーズケーキ」
「はやく食べよ!」
「ちょっと待って。野菜を冷蔵庫に入れないと」
「じゃあ、椅子に座って待ってるね!」
とびきりの笑顔でそう言うと、和也はリビングに走っていった。
数分後、友子がオレンジジュースを持ってリビングに入ると、和也はケーキをもうほとんどたいらげていた。
「このケーキおいし、じゃなかった、こわいねぇ」
そして、ケーキを全部食べ終わって、一言。
「ああ、こわかった」
オレンジジュースを飲んで一息ついた和也は、友子にこう言った。
「明日もケーキ買ってきてね!」
「えっ?ケーキはもうこわくないんじゃないの?」
「チーズケーキはもうこわくないけど、それよりもっとこわいものがあるんだ」
なかばうんざりしながらも、友子は一応聞いてみた。
「それって何なの?」
「チョコレートケーキ!」
ああ。私って、何でこうやさしいんだろう。昨日に続いて今日もケーキを買ってあげるなんて。いろいろと不満もないわけではなかったが、和也のあの無邪気な笑顔を見ると怒る気もなくなってしまうのだった。
和也はもうすでにソファに座っていた。友子の姿が見えると、とびきりの笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。
「おかえりなさい!ケーキは?」
「ちゃんと買ってきたよ。和也がこわがってたチョコレートケーキ」
「わーい!」
「今用意するから、ちょっと待っててね」
「はーい!」
「わあ。すっごくこわそう!」
ケーキの箱を開けると、和也がうれしそうに声をあげた。
「はいどうぞ」
友子がケーキを皿に乗せると、和也はそれをものすごい勢いで食べはじめた。
ケーキはものの数分で皿からきれいになくなっていた。
「このケーキこわいねえ。チーズケーキよりこわいよ」
「これで満足した?」
「ううん。いちばんこわいケーキがまだ残ってるもん」
やっぱりそうきたか。内心ではいい加減うんざりしている友子だったが、できるだけ穏やかな声で言った。
「一番こわいケーキって、なに?」
無邪気にはずんだ声で、和也は言った。
「イチゴのショートケーキ!」
次の日の夕方、友子はケーキの箱を持ってドアの前に立っていた。ここまでは昨日と同じだが、浮かべる表情は違っていた。今日の友子にはある計画があるのである。和也にちょっとした仕返しをする計画だ。さんざんいたずらをしてきたんだから、私にだっていたずらを仕掛ける権利はあると、友子は思っていた。突然のいたずらに驚く和也の顔を思い浮かべると、自然に口もとがゆるむのだった。
「ママ!ケーキは?」
足音でわかったのか、ドアを開ける前から和也が声をかけてくる。ドアを開けると、和也も一緒に外に出てきた。ドアにへばりついていたらしい。
「裸足じゃないの、あんた。ケーキはちゃんと買ってきたから、とりあえず中に入りなさい」
「はーい」
その無邪気な笑顔もいつまでつづくかしら。かすかな微笑みを浮かべながら、友子は中に入った。
「ケーキ、まだ?」
早々とソファに座って待っている和也が言った。
「今準備してるから、ちょっと待ってて」
「はやくしてね!」
いつまでその上機嫌がつづくかしら。鼻歌まで歌いながら、友子はケーキの箱を開けた。
「わあ、ケーキだ!」
和也の歓声が聞こえてきた。友子はキッチンからこれから起こる出来事を観察することにした。
「やっぱりママはやさしいなあ・・・あれ?」
和也の声が不意にとまった。キッチンからのぞいてみると、和也はケーキをしげしげと見つめている。
「ママ、これケーキじゃない!」
「そんなことないわよ。ちゃんとクリームもかかってるでしょ?」
笑いをこらえるのに苦労しながら、友子は言った。
「イチゴがトマトになってる!」
和也の叫び声が聞こえて、友子はとうとう笑いをこらえきれなくなった。
「いつも食べてるケーキじゃつまらないと思って、ちょっとアレンジしてみたのよ」
「ミカンがキュウリになってるし・・・キャベツもはいってる!」
「それもママのアレンジよ」
和也はもう半泣きになっていた。おいうちをかけるように、友子は言った。
「どう?おいしい?」
何度もしゃくりあげながら、和也は言った。
「やっぱりママがいちばんこわい!」
完
この作品への感想は、星新二氏まで、メールでお願いします。

戻る